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2017/06/18

「ゆるす」ということ

おはようございます。小出遥子です。

最近、ある方から、
「どうしてもゆるせない人がいるのですが、どうしたらよいですか?」
といった内容のご相談を受けました。

そういうこと、ありますよね。
「ゆるせない」という気持ちそのものが自分を傷つけている、
そのことは重々承知の上だけれど、それでも、
どうしても「ゆるせない」を手放せない。

手放したいのに手放せないって、ほんとうに苦しいんですよね。
ものすごくよくわかります。

こういうとき、私は、一度、「手放したい」という気持ち自体を手放します。
「手放せなくていいじゃないか、人間だもの」と(笑)。

その上で、「ゆるせない」という気持ち自体は、
完全に「ゆるされて」存在している、ということに、
こころとからだをふわっと預けてしまいます。

「ゆるせない」も、「ゆるしたい」も、「それでもゆるせない」も、
すべて広大なご縁の網目の中で起こってきているもので、
そもそも個人の意志ひとつで転がせるものではないのですよね。

その事実を頭で理解するだけで、だいぶ楽にはなります。

で、その上で。

もし、ほんとうに、もうこれ以上苦しみたくない。
私はあの人をほんとうにゆるしたいのだ、
という気持ちがおのずから湧き上がってきたときには、
無理のない範囲内で、相手のしあわせを願ってしまうといいです。
というか、すでに、相手はしあわせの中にあると決めてしまうんです。

「あの人は、もう、しあわせです」と。
「しあわせに、生きています」と。

一瞬「ええ!?」と驚いてしまうかもしれませんが、
これは、かなりパワフルな決意です。
実際にやってみるとわかります。

たったひとこと、「あの人は、もう、しあわせです」と。
そして、そのしあわせの中で笑って生きている
その相手の姿を思い浮かべるんです。

ただ、くれぐれも無理はしないでください。
少しでも「無理だ」と思ったら、やめてください。

でも、もし状況がととのって、そこまでワークすることができたら、
きっと、なにか、「ゆるされた」感じがすると思います。
自分自身が、ゆるされた感じがして、大きな安堵感に包まれると思います。

相手を「ゆるす」ことは、
そのまま自分を「ゆるす」ことなのだと。
そして、相手のしあわせを「決める」ことは、
そのまま自分のしあわせを「決める」ことなのだと。

そのことを、理屈じゃなく、おなかの底から「理解」した瞬間、
自分も相手もない「ひとつ」のグラウンドの上で、
大いなる癒しが起こっていくのを感じるでしょう。

ただ、何度も言いますけれど、くれぐれも、無理はしないように。
でも、もし、準備がととのったと思ったときには、
深呼吸を数回したのち、やってみるのもいいかもしれません。

できるだけ、穏やかに生きていきたいですよね。

よい一日をお過ごしください◎

≪今後のTempleのスケジュール≫

【7/9(日)】Temple@法然院
(ゲスト:梶田真章さん)

【7/23(日)】Temple School 特別イベント第2弾(ゲスト:横田南嶺さん、藤田一照さん) ※満員御礼