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2017/07/16

神仏なりきりプレイ

おはようございます。小出遥子です。

仏教をはじめとする、ありとあらゆる本質的な宗教の
根本の根本、大元の大元の目標は、

「“私”と“仏”(あるいは“神”)とは、本来“ひとつ”だった」

という事実を思い出すこと。
そこに尽きるのではないかな、と感じています。

それに「なる」というよりは、
すでにそれであったことを「思い出す」。

そこにすべてのポイントがあるんですね。

で、「思い出す」ことって、そんなに難しいことじゃなくて。

すでにそれであるというその証拠は、
実は世界のそこここに散りばめられていて、
それに気づきさえすれば、割と簡単に納得がいきます。

たとえば、私、昨日のブログに、

人間って、誰かを憎んでいるよりも、
誰かを愛しているときの方が、心地よくいられるものなんですよ。

と書きましたけれど、これも、
そもそも自分が仏や神と“ひとつ”であることの
大きな証拠になりますよね。

仏や神は、生きとし生けるものすべてを無条件で愛していますからね。
私たちがどんな姿かたちをしていようと、どんな行動をとっていようと、
ひとりひとり、ひとつひとつのすべてがもれなく愛おしく、大切なんです。
ひとりひとり、ひとつひとつの存在そのものに大感謝しているんです。

こういう仏や神のあり方に沿っているとき、
私たち人間は、大変な心地よさを味わえるんですよね。
だってこれ、故郷、ホームでくつろいでいるようなものですから。

逆に言えば、そういったあり方から離れてしまうとき、
人間は自分が故郷喪失者になってしまったかのような思いを抱えて、
どこにいっても所在なく、緊張が解けなくなってしまうんですね。

生きるよろこびは、本来的ないのちのあり方とともにあって、
それはそのまま仏や神のあり方とイコールなのだと思います。

生きるよろこび、感じたいですよね。

それならば、もう、四六時中、
「神仏なりきりプレイ」をたのしんでしまいましょう!

やり方はいたって簡単。
いつなんどきでも、「神さまだったらどう動くかな」とか、
「仏さまだったらどう感じるかな」とか、そういう意識で生きてみる。
そして、そのまま仏や神としての私を生きてみるんです。

たとえば、世界をまたにかけて活躍する大企業の社長さんの話を聞いたとき、
「すごいなあ。でも、自分にはできないな」と卑屈になるのではなくて、
「そこの社長さん! 私の世界を豊かにしてくれてありがとう!」
と本気で思ってみるとか。

街中で人目もはばからずイチャイチャするカップルに
「けっ!」と冷たい一瞥をくれるのではなくて、
「そこのカップルよ! 私の世界を彩ってくれてありがとう!」
と本気で思ってみるとか、ね(笑)。

これ、想像以上にたのしくて、なによりも心地いいんですよ。
ずっと続けていると、決して傲慢な誇大妄想でなく、

「“私”と“仏”(あるいは“神”)とは、本来“ひとつ”だった」

ということに、無理なく、しみじみと気づけたりしますからね。

まあ、深く考えずに、単なる趣味として(笑)
思い立ったときに「神仏なりきりプレイ」をたのしんでみてください。
なにか発見があったら教えてくださいね。

三連休の中日ですね。
よい一日をお過ごしください◎