Column
Words
2016/11/09

【盤珪】仏になろうとしようより、仏でおるが造作がのうて近道でござるわいの

イラスト:nihhiイラスト:nihhi

今回は、江戸時代前期の臨済宗のお坊さん、盤珪(ばんけい)禅師のことばを取り上げます。現代風に崩してしまえば、「なんとかして仏になろうと頑張るよりも、そのまま仏として生きてしまう方がラクチンですよ」といったような意味になるでしょうか。

盤珪さんは「造作」がないところに、つまりは、力みやはからいを捨てたところに、仏として生きる可能性を見出して、こういったことばを遺されたのだと思います。しかしながら、そうは言っても、「力みやはからいを捨てよう!」と、力んではからってしまうのが人間の悲しい性(さが)です……。

でも、どうでしょうか。「力みやはからいを捨てよう!」と頑張ってしまうことすら、仏さまのはからいとしてあらわれているのだとしたら……? なんだか、一気に力が抜けてしまいませんか?

そうして、ゆだねてゆだねてまかせきってしまった先には……アラ不思議。ここには最初から仏しか存在していなかった……! という気づきが待っていてくれるのでしょう。

はからいをなくそう! と頑張るのではなくて、自分にはからいがあることを認め切った先に、まったくあたらしい世界が開けている……。仏教って、シンプルなくせに、決して一筋縄じゃいかなくて、その分、ほんとうに面白いものだなあ、なんてことを思います。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2016年11月6日発行号より転載)