Column
Dialogue
2016/11/12

栗生隆子さんとの対話/「めぐり」そのものとしてのいのち

kuryuu2

なくなったからこそ満たされた

栗生:絶望の中から希望が生まれてくるとも言えます。私自身の治癒の道も、一旦すべての望みがなくなって、まっさらな状態になったところから開けてきたわけですし。なにもなくなったところに、すべてが与えられました。なくなったからこそ満たされたというか……。

小出:なくなったからこそ満たされた!

栗生:私たち人間って、いっつも、先に満たすことばかりを考えてしまうんですよね。でも、「ある」で満たしてしまうと、入ってくるべきものも入らなくなってしまう。だから、一旦すべてを手放して、「ない」という状態に立ち返ってしまわないと。

小出:道元禅師も「放てば手に満てり」っていうことばを遺していますね。握りしめたら握った分のものしか手に入らないけれど、ひとたび手を開いてしまえば、すべてが、ほら、手のひらの上に……。

栗生:素晴らしい!

小出:ねえ。いいことばですよね。

栗生:やっぱりね、「無」がすべての基本だと思っています。

小出:ほんとうに。「無」から「すべて」が立ちあらわれてくるんだっていうことを、一度でもいいから、理屈を超えたところからストンと理解してしまえば、手放すことへの恐怖心も、一気に薄れてしまいますよね。そうすると、いろんなことが滞りなく流れて、おのずからあたらしい展開が次々に生まれていって、良い循環の中で、ただただリラックスして、流れにゆだねるようにして生きていけるようになる。

栗生:うん。もし滞ってしまってもね、何度でも「無」に帰ればいいんです。

小出:「無」に帰ってしまえば、そこからまためぐり出しますものね。自然はおおらかですね。

発酵生活をはじめると穏やかになっていく

小出:栗生さんご自身も、もう、自然そのものみたいな方で……。お話ししていると、ゆったりと、穏やかな気分になってきますよ。

栗生:そうですか?(笑) ありがとうございます。でもね、私の周りの方々を見ていても思います。発酵生活をはじめられたみなさん、やはり、どんどん穏やかになられているように思います。その傾向はあるように思いますよ。

小出:それは、やっぱり、「つながり」というか、「めぐり」の中に自分が生かされているということを、それこそ身体まるごと理解できるようになるからですか?

栗生:そう。発酵食を手作りしますよね。味噌でも、甘酒でも、ヨーグルトでも、パンでも、なんでもいいんですけれど。とにかく、そういうものを作っていくと、その過程の中に、生態系そのものが見えてくるんです。

小出:生態系そのもの、ですか。

栗生:菌の活動には、「よろこび」と、「たのしみ」しかないように思います。……っていうと、ちょっとファンタジックに聞こえるかもしれないけれど。つまりそこには「進化」の過程しかないんです。この世界には無数の種類の菌が存在しているんですけれど、そのそれぞれに役割があるんです。その役割の最たるものが、いのちのリレーです。

小出:いのちのリレー。

栗生:発酵食って、ぜんぶ、いのちのリレー、いのちのバトンタッチの結果として完成するものなんですよ。たとえば味噌を作るとき、大豆と麹と塩を入れた甕の中でどんなことが起きているのかというと、まず、乳酸菌がうわ~っと増えて優勢になるんですね。でも、ずっとそのままの状態が続くのかというとそうではない。ある段階まで来たら、乳酸菌はみずから失活します。

小出:失活。活動を停止するんですね。

栗生:そうです。その後、酵母が乳酸菌に代わってどんどん増えていくんですね。酵母は失活した乳酸菌を餌にして、いのちをつないでいきます。そのとき、乳酸菌はなにも抵抗をしないんです。負けまい! 食べられまい! と力んで争うことなく、むしろ酵母と手をつなぐようにして、共にしていく。つまり、乳酸菌は乳酸菌としての役割を、ただただまっとうするんですね。

こうしたいのちのリレーの結果として、味噌という物質があらわれるんです。不思議だと思いませんか? 原材料は大豆と麹と塩ですよ。まったく別々のものです。それが菌のはたらきによって、甕の中で、味噌という新しい姿として現れる……。

小出:すごい……。これ、まさに、仏教の言う「縁起」ですね。すべてのものには定まった姿かたちはなく、縁によってどんなものとしてもあらわれるっていう。すべては大きな大きな「めぐり」の中にあって……。

栗生:ほんとうに。分離しているようで、実はすべてが同じひとつの「めぐり」の中に生かされている。発酵食を作っているとね、そのことが理屈じゃなくわかるんです。

小出:すごく素敵です。

「いのちのリレー」の中に生かされている

栗生:いまはたまたま味噌を例に出しましたけれど、すべての発酵食づくりの過程で、これと同じことが起きているんですよ。最初に乳酸菌があらわれて、乳酸菌が死滅する頃に酵母菌があらわれて、酵母菌がアルコールを作り出して、そのアルコールで酢酸菌が育っていく……。ぜんぶ、いのちのリレーをしているんですよね。この循環が見えてくると、不思議なことに、自分自身も、そこに共鳴していく。人と争おうという気持ちがなくなってくるんです。

小出:それはすごいですね!

栗生:自分も、ただ、自分の役割を果たしていくだけだなあ、って。理屈じゃなく、そう思います。やっぱり、最終的においしいものができあがって、それを食べたときに、ことばではない気づきがあるんですよ。ただただ、「おいしい」。それから「ありがとう」っていう感謝の気持ちが湧き起ってきて……。

小出:うん。おいしいものを食べたときに、反射的に「ありがとう!」と思ってしまう気持ち、とてもよくわかります(笑)。

栗生:そうでしょう(笑)。それとね、さっきも言いましたけれど、まったく別々の素材を合わせて、ひとつのまったく新しいかたちを作り出すのが、発酵のおもしろいところだと思っていて。大豆と麹と塩で味噌が、小麦粉と水でパンが生まれる。そして、たとえば味噌だったら、その先に、たとえば味噌汁とか、味噌漬けとか、味噌煮込みとか、どんどんいろんなものが展開して、それが私たちを生かしてくれて……。でも、一粒の大豆からそんな風に広がっていくなんて、最初の段階では、まったく想像もできないんですよ。

小出:ぜんぶ、巨大なご縁の網目の中で起きてくるんですよね。そしてその網目って、決して辿り切ることはできなくて……。

栗生:そうなんです。そういうのを知っていくと、やっぱり、私たちって、決してひとりきりで生きているわけじゃないんだなっていうことを、ごく自然にさとるし。「共存」とか「共栄」とかっていうことばの意味が、おなかの深いところから理解できるようになるんですよね。すると、誰かと自分とを比べなくなるし、争わなくなる。

小出:それは、きっと、大きな「安心」とともに生きていけるようになるからなのでしょうね。すべてとつながりあって、大きな循環の中に生かされているんだっていうことがわかると、不安感、恐怖感が消えてしまうから。

人間が誰かやなにかと争い続けてしまうのはどうしてなのかというと、やっぱり、存在の根底に恐れがあるからだと思うんですね。自分ひとりが世界と切り離されているような感覚があると、自分のひとりの力でどうにかサバイバルしていかなきゃならないという風に思ってしまって、結果、過剰防衛に走って、自他を傷つけるような言動を続けてしまう。

でも、そんな孤独感の中で生きていても、ほんとうにおいしいものを食べたら、人間、誰でも「ありがとう」って思うはずだから。そこから、視界が開けてくることも、あるんじゃないかな。

栗生:うん。おいしいものを食べると、ごくごく自然に、感謝が湧き上がってくるんですよね。でも、それは、単純に舌がよろこんでいるだけじゃないんですよ。その食材を育てた大地や、雨や、日光や……。それを栽培してくださった人や、収穫してくださった人や、運んでくださった人や、調理してくださった人や……。そこまでずーっと思うとね、やっぱり、自然に「ありがとう」って。

小出:うんうん。

「安心感」がなによりの薬

小出:お話をお伺いしていて、もうずっと、じわじわと感動しっぱなしです。やっぱり、すべて、「めぐり」の三文字に集約されていくんだなあ、って。

栗生:そう。そうなんです。ほんとうにそこだけです。それこそ、さっき言ったいのちのリレーであったり、いま言った物の流れであったり……。すべてが大きな循環の中にあるんですよね。

あと、さっき小出さん、「安心」っていうことをおっしゃいましたけれど、発酵生活をしている方々って、ほんとうに、大きな安心感の中で生きていらっしゃるんですよね。最初は、単純に、どんなに大きな災害が起こって、物流がストップしたとしても、お味噌やお漬物が家にはあるから、まず半年は食べていけるっていう安心感。6か月あればね、情勢は、ある程度まではととのいますから。そこまでは、これでなんとか生きていける、って。これがひとつ。

あとは、発酵食をいただいている自分に対する信頼感。ちゃんとした発酵食、菌が作り出した食べ物をいただいていると、自然と身体がととのってくるので、病気にかかりにくくなる。もし病気にかかっても、発酵食の力を借りて治していけるっていうのがあるから、どっしり構えていられるんですね。

小出:それも、きっと、感謝とセットになった安心感なのでしょうね。

栗生:うん。やはり、感謝がベースにないと。いまね、ちょっと健康ブームやなんかで、発酵食にも注目が集まっていて。私の元にもよく質問が届くんですよ。たとえば「豆乳ヨーグルトは、一日何グラム食べたらいいですか?」とか、「この食品を食べると、具体的にどんな効果が出ますか?」とか。でも、大切なのはそこじゃないんですよね。まずは、食材を保存できたことに感謝する。それによって自分や家族が生かされていることに感謝する。それを食べたことによって腸内環境が良くなるということに感謝する。心と身体が元気になっていくということに感謝する。この順番が大事なんです。ここを間違えてしまうと、なににもならないと思うんです。

小出:あんまり「効果」とか「効能」ばかりに注目してしまうと、大事なところを見失ってしまいますよね。それこそ、発酵の醍醐味って、大きな「めぐり」の中に生かされているという安心感を理屈を超えたところから知ることにあるのに、西洋系の医薬品の代用としか見られないのは……やっぱり、すごくざんねんなことだと思います。

栗生:そう。ぜんぶ逆なんですよね。ほんとうは、安心感がなによりのお薬なんです。

小出:安心できると、心と身体の力が抜けて、視野が広がって、そうするとさらにクリアに「めぐり」の中にあるいのちが見えて……。そうやって、どんどん良い循環が生まれていくのでしょうね。

栗生:うん。そうなると、人間、やさしくもなれるしね。だから、ほら、災害があったあとに、みんなが食べ物を求めてお店に殺到するでしょう。それが悪いことだって言いたいわけじゃないんだけれど、でも、できる人はお家で保存食を作って常備しておけば、ほんとうに必要な人がお店で買えるようになるじゃないですか。

小出:そうすれば、みんなに平等に食べ物が行き渡りますものね。忙しくて、どうしてもお店で売られているものに頼らざるを得ない人にも、ちゃんと。

栗生:そういう風に、少し、他の人のことも考えられるようになっていくので。

小出:まさしく調和的な暮らしが実現していくわけですね。