Column
Dialogue
2016/12/18

小関勲さんとの対話/いのちとカラダと全体性のお話

「いのちからはじまる話をしよう。」ということで、今回、私は、バランストレーナーとして、数々の著名なアスリートをご指導されている小関勲さんをお訪ねしました。

私が最初に小関さんにお会いしたのは、今年の7月に、私もお手伝いしている藤田一照さんの仏教塾(仏教的人生学科一照研究室)の特別イベントに、ゲストとしてお越しいただいたときでした。小関さんのおだやかなたたずまいと落ち着いた口ぶりからにじみ出る「ただあるもの」「ただある世界」への圧倒的な信頼感に、私は、一瞬で魅了されてしまいました。

「ここには、なにか、“ほんとう”のことがある!」……あのときの興奮を、いまでも生々しく覚えています。

小関さんは、最近、感度の高い人たちの間で話題になっている「ヒモトレ」の発案者でもいらっしゃいます。ヒモをゆる~くカラダに巻いておくだけで、自然とバランスがととのい、無理なく大きな気づきを得られるという画期的なものです。私の周りにも、じわじわと実践者の輪が広がっていっています。もちろん、私も毎日試しています。

無理になにかをしようとしなくても、あるいは無理になにかを手放そうとしなくても、すでに、すべては、完璧にととのっている―― そのことに気づくことさえできたら、人間は、もっと楽に、もっとたのしく、もっと自由に、ただあるいのちを生きていくことができるのではないだろうか……。ヒモトレを通して得たその直観は、今回、小関さんとじっくり対話をする中で、確信に変わりました。

記事を通して、みなさんにも、気づきのための大きなヒントが与えられることを祈っています。どうぞ、最後までじっくりとおたのしみくださいませ◎

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本来的な「ある」を前提に……

小出:小関さんは「バランストレーナー」としてご活躍されているわけですけれど、具体的にスポーツ選手の方々にどんなご指導をされているのが、正直、イメージがつかないようなところがあったんですね。でも、藤田一照さんの仏教塾のイベントのときに、小関さんが、あるデモンストレーションをなさって。それで、「ああ、バランスって、こういうことか!」って、一瞬で腑に落ちたんですよ。

小関:そうでしたか。僕、どんなことしましたっけ?(笑)

小出:会場の参加者の方に、「イスに座ったままで、自分のカラダの中心を探ってください」という風に呼びかけられて。みなさんそれぞれに一生懸命探るわけですよね。でも、小関さん、「はい、いまみなさんが中心だと思っているところ、残念ながら、ぜんぶ真ん中ではありません」って(笑)。

小関:ああ、「それはぜんぶ偏りです」って。

小出:そうそう!

小関:自分自身が偏っているというところから入るというのがとても重要なんです。さらなる自己肯定のために、前向きに自分を疑う。真ん中って、自分が把握できないところにありますから。

小出:前向きに自分を疑う! そういうことだったんですね……。それで、みなさんが「ええ~? これ、真ん中じゃないの!?」ってびっくりしているところに、「じゃあ、今度は自分が座っているところから、上半身をゆっくりぐる~っと回してみてください」「回し終わったら、中心に、トンッとカラダを置いてください」「それが真ん中です」って。これがね、やってみたら、もう、ほんとうにしみじみと、「うわあ、これが真ん中だ」って、理屈を超えて納得してしまったんですよ。ほんとうに一瞬だった! ……と同時に、「これが小関さんのおっしゃる“バランス”の世界なのか!」っていうのが、ストンと理解できた気がして。とにかく、基本はすごくシンプル。ただ「ある」いのちを信頼していくだけ。そこを「バランス」ということを通して伝えていらっしゃるんじゃないかな、って。

小関:そうですね。僕は「本来ある」というのを前提においてアドバイスや指導をさせていただいています。

小出:すでに「ある」ものを見出していくというか、ただそこに気づいていく。そこがメインなんですね。

「過不足」をなくせば見えてくるものがある

小関:ただ、その前提としての「ある」って、普段の生活の中ではなかなか見えてこないんですよ。

小出:そこが難しいところで……。なにが「ある」を見出すことを邪魔しているんでしょう?

小関:ひとことで言えば、「過不足」ですね。

小出:ああ。じゃあ、さっきのは「過不足」のうちの「過剰」の方の例だったんですね。「真ん中を見つけよう!」と頑張ってしまう、その力みが、すでに「ある」真ん中を見えなくしてしまう、と。

小関:そういうことです。たとえば……さっそくですけれど、小出さん、ちょっと立ってもらっていいですか?

小出:はい。

小関:少し足を開いて、腰を落として。膝も曲げて。どこにも力を入れないで、かつ、しっかり立ってみてください。

小出:こうですか?

小関:OKです。この状態で僕がグッと小出さんの腰を押してみます。……耐えられますよね?

小出:うん、大丈夫です。

小関:じゃあ今度はグッとおなかに力を入れて腹筋を固めてみてください。はい。さっきと同じように押しますね。

小出:……あれ? よろけちゃう。ぜんぜんダメです。力が入らない。

小関:そうなんです。逆に力が入らなくなっちゃうんですよ。じゃあもう一回、どこにも力を入れないで、しっかり立っていてください。

小出:はい。

小関:もう一回、さっきと同じように押しますよ。

小出:あ、今度は大丈夫です。耐えられます。……ええ~?(笑) ちょっと不思議ですね。腹筋に力を入れない方が、逆にカラダは安定するんだ。

小関:これ、わかりやすいでしょう? 力を入れようと頑張りすぎると、逆にうまくいかなくなるっていう。でも、やり過ぎをやめれば、その瞬間に見えてくるものがあるんですね。でも、指示の出し方も、よく聞いてみると変なんですよ。「力を入れず、しっかり立ってください」なんて(笑)。

小出:言われてみればそうですね……。でも、なんとなくできちゃいましたね。

小関:それが「カラダ」なんです。

小出:!!!

カラダは一部分だけで動いているわけではない

小出:カラダは一見して矛盾するようなふたつの事象を、なんの矛盾もなく、そのまま受け入れているんですね……。納得しました。過不足がなければ、そのことがなんのジャンプもなく見えてくるんだ。

小関:そう、すでにカラダに備わっている「全体性」が景色みたいに見えてくるんです。

小出:全体性ですか。

小関:カラダって決して一部分だけで動いているわけではないんですよ。全体が最小単位の一個なんです。

小出:全体が最小単位の一個?

小関:そうなんです。