Column
Dialogue
2016/12/18

小関勲さんとの対話/いのちとカラダと全体性のお話

koseki3

いのちのことはわかりようがない

小出:ほんとうは、これに限らず、ぜんぶ、「結果的に」そうなっていた、ということしかできないのかもしれないですね。

小関:結果って、「結果的に」というかたちでしか見えないんです。僕らってどうしても結果を求めてなにかをしてしまうんですけれど、それを目的や目標にしてしまうと、話がおかしくなってきてしまうんですよね。

小出:結果って、決して求めた先にあるものじゃないんですよね。それはあくまで結果であって……って、こういう風にことばにするとどうしてもややこしくなるんですけれど(笑)。さっきの話に戻れば、すべての物事は「わからない」の中で起きている、と。でも、意識では「わからない」けれど、カラダはちゃんとそれを感受してくれている。それだったら、そんなに「わからない」ことを怖がる必要はないんじゃないかな、って。

小関:そうですね。なにかが「わかる」と、かならずあたらしく「わからない」ことも生まれるわけで。そういう意味で、「わからない」ことって絶対になくならないんですよね。だから、生きるということの前提に、「わからない」ということはずーっとあるんだろうな、と思うんですけれど。

小出:いのちのことは、絶対にわからないですよね。

小関:うん。でも、わからなくてもよくて。

小出:そもそもわかりようがないんですものね。いのちは全体性そのものだから。

小関:ただ、わからない中でも、いろいろな気づきは起きてくるので。それを、ただ、大事にしていけばいいんじゃないかな、と思いますね。

小出:ゴールは設定せずに。

小関:そう、ゴールを設定するからつらくなってしまうんですよ。そんなことをせずに、過程の中で起きてくる気づきをたのしんでいけばいい。

信じなくても、理解できなくても、効果はある

小出:カラダまるごとで生きていれば、わからない中でもたのしさを味わえるんですよね。というか、ほんとうの意味での「たのしさ」っていうのはそこにしか存在しないものなのかもしれない……。でも、頭だけで生きてしまうと、わからないということそれ自体が、とにかく怖くてたまらなくて。わからないことは自分にとって脅威になり得る、だから一生懸命理解しないとダメなんだ、安心できないんだっていう風に思ってしまう。ほんとうはそんなことないのに、恐怖心があるから、その思い込みを握りしめて離せなくなってしまうんですよね。でも、ヒモトレみたいな、シンプルでわかりやすいメソッドがあると、ただ「ある」ことへの信頼感を無理なく培っていけるので。これは、ほんとうにすごくいいなあと思います。

小関:そうですね。ヒモトレは、導入として、すごくわかりやすいと思います。

小出:そういう意味では、名前こそ「ヒモトレ」だけど、これって、一般に言う「トレーニング」とはまったく趣が異なるものなんですね。

小関:そうそう。一般的なトレーニングって、なにか道具を使って「強化する」とか、「増やす」とか、「加える」とかいう方向を目指して行われますよね。その裏には、「弱い」とか、あるいは「ない」とかがあって。それがあるからこそ、こっちの方向を目指すわけですよね。でも、僕がやっているバランストレーニングとかヒモトレとかっていうのは、さっきも言いましたけれど、前提に「本来ある」をおいてやっているので。

小出:いまは「ない」けれど、これから「ある」に変えていこう、というタイプのトレーニングじゃなくて、ただ「ある」ということに気づいていくタイプのものなんだよ、ということですね。

小関:そういうことです。カラダや全体性を大事にしていくためには、最初から「ある」ものに気づくとか、見出すとか、感受するとか、そういう風にしかやりようがないんですよね。

小出:でも、その本来的な「ある」ということ自体を信頼するのって難しくて。やっぱり、人間、一生懸命努力して、無理して、必死で「ない」を「ある」に変えていくっていう物語の方が理解しやすいから。

小関:うん。なかなか「ある」を最初から理解できる人って少ないですからね。だからこそ、信頼するための試みって必要だと思うんです。その一助として、ヒモトレを使ってもらえればいいな、と。

小出:ヒモトレの効果って一瞬ですものね! 信じても信じなくても、理解できてもできなくても、やってみれば、とにかく一瞬でカラダが変わってしまう。もはやそこに行為者の思考が入り込む余地はなくて……。

ヒモトレは「自立」のきっかけになる

小関:カラダへのアプローチって、やっぱりすごく有効なんですよ。頭だけで理解しようとすると、「○○先生の言っていることだから正しいんだろう」とか、「伝統的にそう言われているから間違いはないんだろう」とか、どうしてもそういうことに頼っちゃうところがあるでしょう? それはそれでいいんですけれど、でも、それがそのまま限界をかたちづくってしまうところはあるので。要は、それって、行為の主体を自分以外の誰かやなにかに明け渡してしまうということになるわけだから。

小出:それがほんとうかどうかは、本人が自分で体感するしかないわけですものね。でも、頭での理解に頼ると、それを怠ってしまうようなことも起きてくる。つまり、ほんとうかどうかを、自分で確かめることをしなくなる。それは、確かにまずいですよね。

小関:そう。でも、ヒモトレって、実際にやってみれば、効果を疑っていてもカラダが先に変わるわけじゃないですか。そうなると、自分のカラダが自分の頭に教えてくれるんですね。すると、そこにやる人の主体性が生まれてくるんです。

小出:ヒモトレは自立のきっかけになるということですね。

小関:そうそう、自立と言えばちょっとうれしい話があって。香川県に善通寺養護学校という特別支援学校があるんですね。そこにいらっしゃる藤田五郎先生が、数年前から、生徒さんの指導にヒモトレを取り入れてくださっていて。いままで立つことができなかった子どもさんが歩けるようになったとか、嚥下障害を持っていた子どもさんの症状が緩和したとか、いろいろな例を教えてくださっているんですね。それ自体、もちろんうれしい話なんですけれど、それ以上に、その子どもさんたちに自立心が芽生えたことが僕はうれしくて。

小出:具体的にはどういったことが起きているのでしょう?

小関:最初は先生や親御さんたちが子どもさんのカラダにヒモを巻いていたんですけれど、それによってバランスがととのいはじめたら、今度は子どもさんご自身でヒモの具合を調整し始めたって言うんですよ。これって、そのまま、そのお子さんの中に体感がちゃんと生まれて、自分にとっての良し悪しの判断がつくようになった証なんですね。そして、それを自分でちゃんと伝えられるようになったっていうのは、つまりは自立できるようになったということで……。これはうれしいですよ。

小出:素晴らしいですね。

小関:本人が自立すると、周りの人も補助しやすくなるんですよね。要は相手をひとりの人として、しっかり接することができるようになるわけですから。自立って周りにも変化をもたらすんです。

自立関係で接すると、互いに心地よくいられる

小関:互いに自立関係にあると、人間、心地よくいられるんですよ。……ちょっと実際にやってみましょうか。まずはこのイスにふつうに座ってみてください。

小出:はい。

小関:この状態から、僕が小出さんの両腕をグッと引っ張って起こそうとします。やってみますね。

小出:……。

小関:わかりましたか? このやり方だと、カラダがものすごく嫌がるんですよ。

小出:そうですね。無意識のうちに抵抗が生まれました。

小関:でも、こう、背中にそっと触れて、一緒に動くようにすると……。

小出:あ、ものすごくスムーズに立ち上がれますね。

小関:このまま歩くこともできるし……座ることもできる。

小出:あれ? なんか、いつの間にか歩いて、いつの間にか座ってしまった感じがします(笑)。

小関:これって、どう起こすか、どう動かすか、という技術の話じゃないんですよ。触れているということ自体が大事なんです。触れて、伝えるっていう。

小出:確かに、小関さんの手のひらから、なにか伝わってくるものがあった気がします。ひとりの人間として尊重してもらった感触がある。だからこそ、スムーズに立ったり歩いたり座ったりできたのかも。ぐっと引っ張られたときは、自分が物みたいに扱われた気がして、それで抵抗が生まれたのかもしれない。

小関:お互いの間に自立関係があるかどうかっていうのは、とても大事な話なんです。自分がしっかり立った上で、相手との触れ合いがあった方が、実は自分も相手も楽だったりするんですよね。これをうまく応用すると、武術なんかで「いつの間にか倒されていた」みたいなことになるのかもしれませんね。

小出:ああ、そういう話、聞きますよね。武術の達人に倒されるときは一瞬だし、なにが起こっているのかわからないし、でも、まったく嫌な感じがしない、って。

小関:それは、やっぱり、そこに相手を尊重する気持ちがあるからだと思います。それがなかったら、お互いの中に、なにか嫌な感じが残ってしまいますから。

小出:面白いなあ……。

主体性と協調性が完全に共存しているのが自然のあり方

小出:そうそう、自立と言えば、小関さん、ご著書の中でこんなことをお書きになられていましたよね。「自分の中のものは自分で感じてみるしかありません。つまりバランスを保つということは、自立することにつながるのです。しかし自立とは、自分一人だけで立つということではありません。生命は関係性やバランスで成り立っています。主体性を持ちながらも協調性を持つこと。それは自然の在り方そのものではないでしょうか。」(『[小関式]心とカラダのバランス・メソッド』GAKKEN SPORTS BOOKS) これ、結構すごいことが書かれているなあ、って。

小関:ものすごい主体性と、ものすごい協調性が共存しているのが自然というものの特徴だと思うんですよ。

小出:一見、矛盾する概念が同時に共存しているのが自然のあり方だ、と。ヒモトレのキャッチフレーズも「シャッキリリラックス」ですものね。「シャッキリ」と「リラックス」って、頭で考えるとどうしても同時に成り立つはずのないものなんですけれど、実際にヒモトレをやってみれば、すぐにカラダが納得しますよね。だから、やっぱり、すでに「ある」、すでにすべてはととのっている、そのことを自分に教えるための導入として、ヒモトレはものすごく有効だなあ、って。

小関:そうですね。とにかく、やってみれば即座にわかりますから。