Column
Words
2016/12/21

【一遍】よろず生きとし生けるもの 山河草木吹く風立つ波の音までも 念仏ならずと言ふことなし

イラスト:nihhiイラスト:nihhi

私は、念仏者です。念仏をとなえはじめたきっかけは忘れてしまいました。気がついたときには、すでに、「南無阿弥陀仏」が、私の人生の真ん中にありました。

はじめは、「私が念仏をとなえている」という感覚があったように思います。しかし、いつしか、念仏をとなえる主体としての「私」が消え、実際に口に出そうが出すまいが、また、いつ、どこで、誰と、なにをしていたところで、そこにはかならず「南無阿弥陀仏」が“ある”ことに気がついたのです。

「となえる」というよりは、「聞こえる」というのが正確なところかもしれません。

すべてのいのちある存在、山、川、草、木、風の音、波の音……。そのすべてが「南無阿弥陀仏」そのものとして、聞こえているのです。

私たちは、ほんとうは片時だって南無阿弥陀仏と離れたことはありません。いつだって南無阿弥陀仏とともにあり、南無阿弥陀仏の中にいのちをいただいている。

これ以上の「救い」は、ないと思うのです。

「ほぼ週刊彼岸寺門前だより」2016年12月18日発行号より転載)