Column
Dialogue
2017/03/11

二階堂和美さんとの対話/いのちの記憶はのこり続ける

撮影:佐伯慎亮

生と死の間に立って『いのちの記憶』が生まれた

小出:ほんとうに、この肉体として生きているいのちには確実に限りがあって、だからこそ、ほんとうに、毎瞬毎瞬が一期一会なんですよね……。高畑勲監督の『かぐや姫の物語』も、まさしくその一期一会のかけがえのない感触が、理屈じゃなく伝わってくるお話で。二階堂さんが担当された主題歌、『いのちの記憶』も素晴らしくて。あの映画に関しては、もう、好きだなんて軽々しく言えないぐらい、私にとって、ほんとうに、ほんとうに大切な作品です。

二階堂:ほんとうですか。ああ、うれしい……。

小出:あの映画って、最後、姫が月に帰ってしまって、ものすごくいたたまれない気分になるんですけれど、エンディングで流れてくる二階堂さんの歌に救われるんですよ。「♪いまのすべては 過去のすべて 必ずまた会える 懐かしい場所で」って。その歌詞が、一筋の光となって、すうっと胸に浸み込んでくる感じがして……。

二階堂:あの歌詞も、なんで出てきたんでしょうね……。自分で書いておきながら(笑)。あの部分、最初はもっと違う歌詞があたっていたんですよ。「♪たとえこのいのちが終わる時が来ても」までは、最初に思いついたまんまが採用されたんですけれど、そのあとはもっと違ったんです。「♪私、生きてた」みたいな、映画の内容に寄り添うような、それこそ姫の視点から詞を書いていたんだけれど、もっと広がりが欲しい、ということで、試行錯誤する中で、あるとき、するっと出てきたんですよね。

小出:するっと……。あの詞は、完全に姫の視点を超えていますよね。あれは、いったい、誰の視点なんでしょう?

二階堂:ねえ。それこそ、いのちの視点というか、いのちが主語になっている感じでもあるんですよ。だから、ピアノの(黒瀬)みどりちゃんに、その歌詞の直後に来る間奏のフレーズをリクエストしたときにも、「いのちの粒が、時空を超えて飛んでいく感じで」ってお願いして。彼女もすぐに「わかった」って。

小出:素晴らしいパートナーシップですね。

二階堂:そのとき、ちょうど、私も、みどりちゃんも、おなかにもうひとつ、いのちを抱えていたんですよね。そのことも、もちろん、曲づくりや演奏に大きく影響していたと思うし。そのすぐあと、ひとりの祖母が亡くなって、同じ月に私が子どもを産んで。もう一人の祖母も、ひとつ屋根の下で暮らしていましたけど、どんどん、いろんなことがわからなくなっていくっていう……。すごくね、隣り合わせな状況が身近にあった。そんな中で、「♪いまのすべては 過去のすべて 必ずまた会える 懐かしい場所で」っていう歌詞が。

小出:そうだったんですね……。その「懐かしい場所」というのは、仏教で言う浄土のことですか?

二階堂:ああ、それね、すごくよく言われるんですよ。お坊さんにも「あれはお浄土のことですよね」とか、「倶会一処ですね」とか。でも、私は、書いたときは、お浄土のことをはっきり意識していたかどうかはあやふやで。むしろ、もっと具体的に、震災で故郷や大切な方を失くされた方々のことを思って書いたものだったので。津波や、原発事故で失ってしまった場所、人。そちらが発想の原点だったんですね。でも、もちろん、お浄土のことは潜在意識にはあったとは思うんですけれど。

「みんな、生まれるから、死ぬんですよ」

二階堂:1番の歌詞は「♪必ずまた会える 懐かしい場所で」ですけれど、2番は「♪必ず憶えてる 懐かしい場所で」。この2番の「懐かしい場所」というのは、時空を超えた、いのちの記憶、みたいなイメージですね。

小出:その「記憶」というのは、個人の、具体的な、生まれてから死ぬまでの間の記憶のことでしょうか?

二階堂:というよりは、生きとし生けるものすべてが本能的に持っている、生きる力、生きようとする力のことかな。いのちって、無意識下でも生きようとしていると思うんですよね、細胞の再生とか、修復機能とかびっくりするでしょう? その「生きよう」という意志みたいなのは、やっぱり、記憶としか呼べないものになって、時空を超えて受け継がれていくものなんだろうな、って。

小出:『いのちの記憶』というタイトルの意味が、いま、深いところに「ストン!」と落ちてきました。そういうことだったのですね……。さっき、二階堂さんご自身は「懐かしい場所」イコール「浄土」という風に、明確にはイメージされていなかったというお話がありましたけれど、「浄土」というのを、「生まれる前の場所」と言い換えることができるなら、あの映画の最後で、月に、生まれたての赤ちゃんの姿が「バーン」と映る、その意味がわかるような気がするんです。

二階堂:ああ、生まれる前の場所ね。

小出:いのちって、ほんとうは、生まれる前からあるし、死んだあともぜったいに消えずにここにあり続けるものなんですよね。その、「生まれもしないし、死にもしないいのち」の所在地を浄土と呼ぶのなら、それは、遠い空の上にあるものではなくて、まさしくいまここ、この場所こそが、そのまま浄土なんだなあって。……なんかごめんなさい。勝手な解釈を並べてしまいましたけれど。

二階堂:いえいえ、ぜんぜん。ねえ、ほんとうに。ご法話でもね、よく「死の原因ってなんだと思いますか? みなさんわかりますか?」みたいなのがあるんですけれど。「死の原因はただひとつ、生まれたからですよ。みんな、生まれるから、死ぬんですよ」みたいな。

小出:死の原因は生まれること!

二階堂:それはね、ほんとうにそうだな、と思っていて。そこの大前提を肚に据えておくのと、据えておかないのとでは、たぶん、限りあるいのちを生きる心構えとして、ずいぶん、違うんじゃないかな、というのはありますよね。そういうところに、やっぱり、宗教の存在意義ってあると思うし。まあね、そんなことを言っていても、私も、まだまだぜんぜん、常に揺らぎ続けていますけれどね。でも、そんな中でも、依りどころとなる教えに出会えているのは、すごくありがたいな、と思っています。

小出:私自身、一介の念仏者ではあるんですけれど、ほんとうに、いつだって、恥ずかしいぐらいに揺らぎっぱなしです。でも、それでもいいんだ、揺らいでいてもいいんだ、って、阿弥陀さまはおっしゃってくださっていると、私は思っていて。もしそれが1ミリも揺るがないものに変わったら、本質的な宗教も、いわゆる「危険な宗教」になってしまうような気もするし。

二階堂:そうそう。宗教って「ハマる」もんじゃないんですよね。ほんとうはね。

小出:だから、それこそ、揺らいだっていいじゃない、みたいな。決して開き直るわけじゃないんだけれど、人間だもの、そりゃ揺らいじゃうよね、それが当然だよね、っていうところを、こう、まずはまっすぐに見て。そこから、じゃあ、どうやって生きていこうかという風に開けていくのが仏教というか、念仏の道だと思うので。

10代、20代の人にこそ仏教を

二階堂:宗教って、ほんとうは、若い人にこそ有効なものだと思うんですよね。迷いの中にある10代、20代の方に、ほんとうはドンピシャのはずのもので。

小出:ああ……。私がほんとうの意味で仏教に出会ったのも、20代後半でした。その頃、ほんとうに、わかりやすく人生に迷ってしまって。なんというか、自分自身にガックリすることが相次いでしまったんですよね。

二階堂:自分自身にガックリね(笑)。わかります、わかります。私も、20代後半、ずっとそんな感じだったなあ……。

小出:それまでは、自分の人生、自分ひとりの力でなんとかできると思っていたというか、ホント思いあがっていたから(笑)。だから無理やり自分を信じて、ガチガチに補強して、見ないフリ、聞かないフリ、感じないフリをして頑張っていたんですけれど……。でも、結果として、自分にも他人にもジャッジメンタルになってしまって、どんどんどんどん苦しくなっていって……。「ん? これはさすがになにかおかしいぞ?」「自分なんて、ぜんぜんあてにならないっていうことを、もっとちゃんと受けとめた方がいいんじゃない?」って。

二階堂:いや、絶対、若い人は、多かれ少なかれ、仕事であったり、恋愛であったり、いろんな経験の中で痛感することがあると思うんですよ。「自分って、なんてあてにならないんだろう」って。でも、そうなってからはじめてなにかを探すと、ほんとうに路頭に迷ったり、「危険な宗教」に走ってしまう恐れがあるというか……。

小出:弱っているときって、どうしたって「わかりやすい話」に飛びついてしまいがちですものね。

二階堂:そうなんですよ。でも、それより前に、仏教的なものに触れていたとしたら……。たとえば、私の場合は、ほんとうに自分にガックリきてしまったとき、「あれ? “自分のことがあてにならない”とかっていうフレーズ、なんかちっちゃい頃から聞かされていた気がするぞ?」って思い出して、そこからご縁を辿っていけたので。

小出:「ああ、仏教って、こういうことを言っていたのか」って。

二階堂:そうそう。だから、やっぱり、いまのお年寄りにも頑張ってもらいたいんですよね。ちっちゃい子どもさんたちにも、もちろんすんなり意味なんか伝わらないと思うけれど、それでも繰り返し仏の教えを聞かせることって、すごく大事なんですよね。それが、いつかなにかのときに、その子の中で、「なんか、昔、うちのばあさんがこんなこと言ってたな……」みたいな風につながっていくかもしれないので。まさに、それが「説教」の意味だと思うんですよね。耳の痛いお話かもしれないけれど。

小出:自分が自分だと思っているものを容赦なく破壊していくところにこそ、宗教の本質的な部分があると私は思っていて。だから、それこそ、お説教って、本来、耳が痛いものでなければならないんですよね。

二階堂:そうそう。そうだと思います。

小出:耳は痛いんだけれど、でも、その先に「ああ、こういうことだったのか」って、視界が開けるときはきっと来るから。「救い」は、そこにありますよね。……というところで時間が来てしまいました。なんだか名残惜しいのですが……二階堂さんとお話しできてほんとうによかったです。

二階堂:ほんとうですか。うれしいです。私も、おかげで、ぼんやりしていたこととか、意識していなかったことを引っ張り出してもらいました。

小出:ありがたいおことばです。私も、音楽と仏教の真ん中にあるいのちは、やっぱり、ぴったりと重なっているんだなって、そのことが理屈じゃなく感じられて、ものすごくこころを動かされました。素晴らしい時間でした。今日はほんとうにありがとうございました。

二階堂:こちらこそ。ありがとうございました。

二階堂和美(にかいどう・かずみ)

歌手。代表作は2011年発表の『にじみ』。スタジオジブリ映画『かぐや姫の物語』の主題歌「いのちの記憶」を作詞作曲・歌唱したことで、音楽ファンのみならず広く知られるところとなる。最新作は21人編成のビッグバンド、Gentle Forest Jazz Bandと組んだ『GOTTA-NI』(2016)。浄土真宗本願寺派の僧侶でもある。広島県在住。

www.nikaidokazumi.net

※この対話記事をベースとして、4月22日(土)に「Temple@髙願寺」というイベントを開催いたします。ぜひ、ふるってご参加くださいませ。くわしくは当サイトEventページをご参照ください。

※「まいてら新聞」【二階堂和美さん(歌手・僧侶)の“いのち”観】- 死者は生者にはたらきかけ続けている –も、どうかあわせておたのしみください。