Column
Dialogue
2017/05/28

小竹めぐみさんとの対話/いのちは凸凹(でこぼこ)だからこそ愛おしい

「いのちからはじまる話をしよう」

小出:ほんとうに心地いいコミュニケーションって、実は、頭を介さないところにあるのかもしれないと思っていて。なんて言うのかな……。それこそ、さっきの話じゃないけど、いまここに、すでにすべてがあった、みたいなところに、ふたり同時に気づく瞬間とか。まあ、そう頻繁にあるものじゃないけど、そういうときに、「あ、いま私たち、なんの過不足もない、完全に完璧なコミュニケーションがとれた」って思うんだよ。そこには大きなよろこびがあるんだよね。根源的な、いのちのよろこびって言うのかな。

小竹:うんうん。

小出:逆にさ、どんなに理路整然としていても、その人の頭の中で閉じちゃっているような話はまったく響いてこなくて。やっぱりさ、そこに「対話」があって欲しいんだよね。一方通行だとコミュニケーションが成り立たない。

小竹:ああ、それ。私は、講演会っていうスタイルで話すのも聞くのもあまり好きではないのだけど、まさにそれが理由。私も、会話のキャッチボールがしたいタイプだから。一方的な話を続けることは心地よくない。

小出:私もそうかも……。まあ、好みの問題だけどね。単純に、私は、こっちの方が好きです、っていうだけで。

小竹:そうそう。個人的には、っていう。

小出:今回のこの話もそうだけど、Templeでやっていることって、あくまで「対話」なんだよね。ダイアローグ。だから「取材」と言ってもインタビューじゃない。私はインタビュアーとしてここにいるわけじゃなくて、あくまで「なにものでもないいのち」として、いまここであなたと向き合っています、っていうスタンスでやらせてもらっていて。

小竹:すごくよくわかる。自分も相手もほんとうに本音でしゃべって、本気で向き合って、そこに生まれてくるものを眺めるのが好き。

小出:うん。だから、めぐみさんと話しているとすごく心地いいよ。あとね、最初に言ったけど、今日のこれも、あくまで「いのちからはじまる話をしよう」なんだよね。「いのちってなんですか? 教えてください!」じゃないんだよ。

小竹:素敵。

小出:私はいのちの定義を知りたいわけじゃなくて……そもそも定義できるものだとも思ってないし……ただ、ここで、いま、私とあなたが向き合っていて、そこに生まれるダイナミズムとか、自然にこころが動く感じとか、それを分かち合いたいだけなんです、みたいな。

小竹:遥子さんの場合は、いのちについて知っていくことよりも、いのちというキーワードをきっかけに対話をすることによって、そこに生まれるものを純粋にたのしんでいる感じがするなあ。

小出:うん。ほんとうにそれだけなんだ。

対話は「起こすもの」ではなく「起こるもの」

小出:Templeっていうのはそういう場なんだよね。小難しい理屈抜きに、単純に、そこにあらわれるものをたのしみましょう、っていう。そこでなにが話されていてもいいの。もちろん、対話の中に真実めいたものが見え隠れしたりすることもあるし、それはすごくたのしい瞬間だし、それを記事にまとめるのが私の役割なんだけどね。でも、それこそ、ジャズのセッションじゃないけど、その時間、その瞬間に、なにものでもないいのち同士が出会って、こういう音を奏でましたっていう、単なる記録とも言えて。

小竹:あくまでコミュニケーションなんだよね。

小出:そういうことなの。だからさ、「取材」と言っても、Templeの場合、「絶対にこの質問だけは聞かなければ!」みたいなのを持って臨むことがあんまりなくて。ただそこで、尊敬する相手と一緒にいて、いのちのあらわれを愛でるだけ、みたいな。究極はね。もちろん、準備はできる限り入念にするし、相手に失礼のないようにしようとはこころがけているけど。なんかね、さっきもジャズのセッションって言ったけど、「対話」って、あくまで「起こるもの」であって、決して「起こすもの」じゃないんだよね。相手へのリスペクトの気持ちをもって、ただ向き合っていれば、そこに自然と流れが生まれてくるから、それを信頼していけばいいんだな、って。最近よく思うよ。

小竹:わかる気がする。私たちもよく取材を受けるけど、同じ質問がとっても多いの。そうすると、やっぱり、たのしくはないんだよね、こっちも。せっかく毎回違う記者さんと会っていて、その人と、今日この時間に会えることはもう二度とないのに、同じことを繰り返ししゃべるのは、なんだかもったいないよね。もちろん、記者さんは、子育て中のママさんが知りたいことを質問してくれるわけで、だから同じような質問ばかりになってしまうのもわかるし、そういうメディアはそういうメディアとして役割があることもわかるんだけど。

小出:そうだね。どんな場であっても、人と向き合うときは、できるだけ、唯一無二のいのち同士として出会いたいと思ってしまうよね。

小竹:そういうことだね。さっき遥子さんはリスペクトっていうことばを使ったけれど、とっても共感。さらに言えば、それ以前に好奇心だな、と。相手への好奇心がないと、ほんとうの意味でのコミュニケーションって成り立たなくて。

小出:確かにそうかも。好奇心か……。

小竹:それがない会話ってすぐわかる。「あ、仕事としてやっているな」と。

小出:そうだよね。仕事相手として出会ったとしても、できる限り、人間同士のコミュニケーションをたのしみたい。それは私も思う。

いのちは水もの。常にかたちを変えている

小出:なにに対しても、好奇心は枯らしたくないよね。私もさ、Templeをはじめてから数年が経つし、もう何回も「いのちからはじまる話」をしているけれど、飽きるどころか、ライフワークになりつつあって。できるだけ長く続けていきたいな、と思っているんだよね。それは、やっぱり、毎回そこにあらわれるいのちのかたちが違っていて、好奇心が尽きないからなんだよ。いのちって、いつだって生もので、決まったかたちがないから。

小竹:ほんとうにそう思う。いのちは、水もので、生ものよね。

小出:まさしく! いのちっていつだってここにしかなくて。だから「わかったぞ! これこそがいのちだ!」って言って掴んだら、その瞬間にそれはカラカラに干からびて、いのちとは違うものになってしまう。

小竹:それってどんな分野についても同じことが言えるよね。保育もそう。我が子のこともそうで、知ろうとしないと知れないし、知っていると思っても、ほんとうはなにも知っていないんだよね。

小出:そうかも……。いやあ、好奇心って、ほんと大切だわ……。

小竹:だから、まあ、「わくわく!」とかっていうと、なんか薄っぺらい感じに聞こえるかもしれないけれど、やっぱりすごく大事だなって思う。

小出:好奇心がないと、いまここにあらわれているいのちのダイナミズムを見逃してしまうもんね。あとさ、好奇心っていうところで言えば、こどもを見ていると思うけれど、彼らってほんとうに、好奇心以外で動かないなあ、って。

小竹:本来はそうなんだよね。せき止めるものがないからね。

小出:こどもは、基本的には「べき」で動かないから。でもさ、大人だってほんとうはそうなんだよね。大人もこどもも関係なく、ほんとうはみんな好奇心をベースにして、頭で考えたことじゃなく、こころで感じたことをベースにして動いていい。でも、それ以外の要因がいろいろ重なり過ぎて、こころひとつで転がることが難しくなっているわけだけど。

小竹:そうだね。

小出:この間もある方とお話ししていたんだけど、その方も「自分が感じたことがそのまま正解」って繰り返しお伝えくださっていて。「考えたことは間違っている可能性があるけれど、感じたことはぜんぶ正解なんだ」って。それってつまり、いまを生きていれば、その姿がそのまま正解っていうことなんだよね。いまは「感じる」ことしかできなくて。「考える」が起こるのも間違いなくいまなんだけど、その中身は、かならず過去や未来のことでさ。そうすると、やっぱり、ズレが生じるんだよね。

小竹:うんうん。

小出:まあ、正解っていうことばも難しいけれど。対極に不正解を置かない、絶対的な正解、ということね。もう、ただそれしかないっていう。それってそのまま圧倒的な受容とセットになっているんだよね。いまここにあるものを、過不足なく受容していくっていう。ほんとうにそれだけで。それはね、めぐみさんたちの活動からも感じるんだけど。……うーん、なんか、今日、ずっと同じ話をしている感じがするな(笑)。でも仕方ないか。究極的なところはシンプルだもんね。

小竹:そうそう。そうなんだよね。すごくシンプル。

小出:……というところで時間がきてしまいました。なんか、あらためてめぐみさんといろいろお話できてよかったよ。大切なところを確認できた気がする。たのしかった。今日はほんとうにありがとうございました。

小竹:私もたのしかった! ありがとうございました。

小竹めぐみ(こたけ・めぐみ)

1982年生まれ。合同会社こどもみらい探求社共同代表。NPO法人オトナノセナカ創設者。

保育士をする傍ら、家族の多様性を学ぶため世界の家々を巡る女1人旅を重ねる。
特に砂漠とアマゾン川の暮らしに活動のヒントを得て、2006年より、講演会等を通して【違いこそがギフトである】と発信を始める。

幼稚園・保育園などで勤務した後、現合同会社こどもみらい探求社共同代表・小笠原舞との出会いから、こどもがよりよく育つための“環境づくり”を生業にしようと決意し、独立。

多様な分野の企業・地域とのコラボレーションを重ねながら「そのまんま大きくなってね」と、こどもたちに言える社会の土壌をつくり続けている。人の持つ凸凹を大切にしながら、日々の変化を楽しみに暮らしている。

※この対話記事をベースとして、6月16日(金)に「Temple@瑞泉寺」というイベントを開催いたします。ふるってご参加くださいませ。くわしくは当サイトEventページをご参照ください。

※「まいてら新聞」【小竹めぐみさん(保育士起業家)の“いのち”観】 – 「死」とは……? まだ、“わからない ” ままでいい - も、どうかあわせておたのしみください。