Column
Dialogue
2017/06/29

星野文紘さんとの対話/いのちは「感じる」こととともにある

感じたことがそのまま真実

小出:感じる力を強めていけば、頭の声に騙されることも少なくなってきそうですね。

星野:感じる力を強めていくっていうのは、つまりは野生に還るっていうことだね。四つ足の状態に還るっていうことよ。

小出:動物に還るということですね。

星野:そう。本来、人間も四つ足の動物だったんだから。四つ足で歩いてみればわかるけど、その状態だと頭が使えないんだよ。

小出:四つ足だと、歩くときには歩くことしかできないですものね。

星野:それが人間は二本足で立って歩くことを覚えてしまった。そうすると今度は余計なことを考えはじめるんだな。現代の課題は、いかに元の状態に身体を戻していくか、それに尽きるね。「感じる」がないままに「考える」ばっかりやっているとろくなことにならないから。いま、瞑想やマインドフルネスが流行っているんじゃない? 俺の山伏修行もそうだけどさ。こういうのはぜんぶ「感じる」力を強めていくための修行だよ。

小出:先達のご著書の「はじめに」に、素敵なことが書かれていて。

去年は五月からずっと山に入っての修行がつづいていた。
いよいよその夏最後の月山に山駈けしたとき、頂上に立って湯殿山を見た。そうしたら「湯殿山に飛んでいけそうだ」と感じたんだ。
そう感じたとき、わかったんだよ。
役行者が伊豆に流されて、富士山に飛んでいったというだろ。
これだって、役行者はものすごく修行をした人だから「富士山に飛んでいける」と感じたんだ。
その「感じた」ことが「行った」となる。
そういうものじゃない?
そういうことさ。
感じたまんまが、答えになっているんだよ。

小出:この部分、ほんとうに、ものすごく心が震えました。感じたことが、そのまま真実なんですね。

星野:そう。魂が感じたことが真実なんだ。感じたことっていうのは、それだけ強いんだよ。でも、現代人にはそこが足りないね。

小出:確かに、感じたことよりも考えたことの方を真実だと思ってしまいますね。だから、たとえばいまの話でも、「飛んで行けそうだ」と感じただけで、実際には「行っていない」のだから、やっぱり「行っていない」というのが真実だ、と考えてしまう。

星野:いまの人たちって、どうしても頭から先に入ってしまうんだよな。「考える」の問題点はさ、考え過ぎると、閉じて、暗くなって、ネガティブになってしまうというところにあるんだよな。でも「感じる」は人を開く。だから、明るくなって、ポジティブになるんだね。

「感じる」が先、「考える」は後づけ

小出:どうして私たち人間が考え過ぎてしまうかというと、やっぱり「わからない」ことが怖いからなんですよね。

星野:そうだね。だからみんな一生懸命いろんなことを理解しようとする。でも「理解しました」なんてね、俺に言わせてもらえば「わかっていません」と言っているのと同じことなんだよ。

小出:なるほど(笑)。

星野:ほんとうに「わかった」っていうのは、ハラで納得するっていうことだよ。つまり「腑に落ちる」っていうことだよ。「わかる」っていうのは頭でやるもんじゃないんだ。だから、本来、ぜんぜん難しいことじゃないよ。たとえばさ、誰だって、山に入って、下りてくるときには、なにか清々しい感じがするだろう?

小出:そうですね。どんなに低い山でも、登って、下りてきたときには、やっぱり、なにか、自分自身がまっさらになったような気分がしますものね。

星野:そうだろう? なにか生まれ変わったような気分になるだろう? そうしたら、それはもう「生まれ変わった」ということなんだ。理屈じゃないね。

小出:「どうして?」じゃないんですね。そう感じたんだから、それが真実なんだ、と。ほんとうはそれでいいはずなんですよね。

星野:それだけでいいんだ。

小出:頼もしいお言葉です。しかし、「感じる力」の大切さについては納得したのですが、そうは言っても、人間には、「考える力」も備わっているわけで……。これを完全に排除するのは、やっぱり、現実的ではないのではないか、と思ってしまうのですが。

星野:考える力だってもちろん必要だよ。ただ、そればっかりになってしまうのが問題なんだな。

小出:あくまでベースに「感じる」を置いた上で、「考える」をやっていくことが大切だと。

星野:その順番だよ。まずは「感じる」ことをやって、それから「考える」をする。「考える」というのは「整理する」ということだよ。

小出:感じたことを考えて、言葉で整理するのが頭の役割ということですね。

星野:そう。「感じる」が先。「考える」は後づけなんだ。

小出:「考える」は後づけ……。とにかく、どんなことでも目の前にやってきたものをただ「感じて」、そこから「考える」をやっていく、その順番が大切だと。

大切なのは「うけたもう」精神

星野:やっぱりさ、「うけたもう」精神っていうのは大事だと思うね。

小出:「うけたもう」精神ですか。

星野:「うけたもう」というのは羽黒修験のオリジナルの言葉でね。修行中は、どんなことを言われても、どんなことがやってきても「うけたもう」と言って受けいれていくんだ。

小出:どんなことでも!

星野:山に入っているとき以外でも、俺はそうやって生きているよ。いつだって「うけたもう」精神で生きている。「うけたもう」はね、開いているから、信頼とセットになっているんだよ。

小出:開いて、起きることのすべてを信頼していく、という態度なんですね。

星野:そう。信頼感っていうのはとても大切なんだ。たとえば、少し前にこんなことがあった。今年の春だよ。桜の咲く頃のある日曜日に、本来だったら、青梅の御岳山で山伏修行のワークショップをやる予定だったんだ。ところが前日にすごい雨が降って寒くなっちゃって、予定通りに山に入ることが難しくなってしまった。だから「山伏修行はやめだ」「明日はお江戸の聖地巡礼に変更だ」って急遽参加者に連絡してね。

小出:まずは雨降りを「うけたもう」精神で受けいれたんですね。

星野:そう。それでね、「朝10時に御茶ノ水駅の聖橋口集合」とだけ決めて、あとは完全にノープランにしていた。それでも、当日、すべてがうまいこと整っていってね。結果としてその巡礼ツアーは大盛況だったんだよ。起こることすべてを信頼していたから、そういうことになったんだろうな。

小出:素敵です。具体的にはどんな一日だったんですか?

星野:俺が、朝、西荻窪から総武線に乗って御茶ノ水まで行くだろう? すると、その途中で、電車の中から外堀通りの桜並木が見えるんだな。それで、「ああ、これはいいな」と。今日はこの桜並木をずっと歩いていくのがいいんじゃないか、と感じたんだよ。それで、10時に聖橋で集合して、神田明神と、それから近くの太田姫神社にお参りしてね。それからずっと外堀通りを四ツ谷方面に向かってみんなで歩いていったんだ。

小出:全員白装束で?

星野:俺は装束を身に付けていたけれど、参加した子たちはみんな普通の洋服だよ。でも頭には宝冠を着けてもらったね。

小出:集団で歩いたらかなり目立ちそうですね!(笑)

星野:そうだね。道行くおばちゃんたちは興味を持って話しかけてきてくれたりしたね。「なにをされているんですか?」「どういう集まりなんですか?」って。そういうときに話しかけてくるのはだいたい女性だよ。男性は知らんぷり。見て見ぬフリをするね。

小出:わかる気がします……。

星野:それでね、なんで俺が桜並木を歩こうと思ったかと言うと、桜っていうのは「さ」「くら」だろう? やまと言葉では、「さ」というのは田の神、つまり食べものの神さまのことだ。「くら」というのは神さまをお迎えする坐のことだね。つまり桜は田の神がよりつく木なんだな。

小出:へええ……!

星野:桜っていうのは田植えの前に咲くだろう? 昔の人は、それを見て、魂で感じたんだな。「ああ、これは神さまが降りてくる木なんだ」って。

小出:興味深いです。

星野:だからね、桜を見上げて、田の神に祈りを捧げようと思ったわけだ。

小出:なるほど……。