Column
Dialogue
2017/06/29

星野文紘さんとの対話/いのちは「感じる」こととともにある

祈りのパワーを直に感じる

星野:ところがね、御茶ノ水からずーっと歩いてきても、どうも、神さまを感じるような桜がなかったんだな。それで、四ツ谷の上智大学の前のあたりまで来たときに、ようやく、「ああ、これは神さまだ」と感じる桜に出会えた。だからそこで一度立ち止まって、法螺貝を吹いて、祝詞をとなえて、勤行をはじめた。そうしたら、みんなも一緒に祈りはじめてね。俺、そのとき、一切なんの説明もしなかったんだよ。でもね、あとで、参加していた女の子から、「先達、あそこには神さまがいましたね」「お祈りしていたら神さまが出てきたのがわかりました」って言われてね。

小出:すごい……。

星野:祈りってそういうものなんだよ。敏感な子はちゃんと感じられるんだね。

小出:鳥肌が立ちます……。

星野:問題はそのあとだったね。四ツ谷を発って、そのまままっすぐ行けば千駄ヶ谷の方に出るだろう、と思っていたの。俺、千駄ヶ谷の鳩森八幡神社が好きだからさ、そっちを目指そう、と。でも、どういうわけか赤坂の方に出ちゃったんだ。お江戸の地理がまだよくわかっていないから、どこかで道を間違えたんだろうな。でも、そこで気づいたんだよ。「赤坂には山王日枝神社があるじゃん」って。「山王」の「山」っていうのは山岳信仰だろう?

小出:ああ! そして「日枝」は比叡山のことですね!

星野:そう、比叡山は修験道の山だからね。つながるんだよ。知っている? あの神社に祀られているお猿さんの像は宝冠を着けているんだ。山伏の格好をしているんだよ。

小出:うーん。それはもう、導かれたと言ってもいいかもしれないですね……。

星野:そういうことなのかもしれないね。それで、正面の鳥居をくぐって、男坂を上がって、みんなで拝殿の前に行って、法螺貝吹いて、祝詞と般若心経をあげて勤行をしていたんだ。そうしたら、奥から、あれはたぶん、袴の色からして、かなり上の役職の人だと思うけれど、神主さんがお酒を二本持って出てきて、「お参りくださってありがとうございます」って。山王日枝神社は、ちゃんと、「山王」と山伏の関係を、そして祈りの意味をわかっているね。最近ではわかっていない神社も多いけれど。俺は神社に行くたびに、そこで働いている人たちの様子を見ているんだよ。

小出:それってある意味、道場破りみたいなものですよね(笑)。

星野:そうだね(笑)。それで、山王神社に着いたときにはすでに15時を回っていたから、そこから電車に乗って代々木八幡宮に向かってね。そこで一通りお勤めを終えて、最後に代々木八幡の、あの、コンクリの丸いステージがあるじゃない。あそこでその日の最終の勤行をしたの。ちょうどその日、ダンサーの女の子がツアーに参加していたからね、その子をステージに上げて、祝詞と般若心経に合わせて踊ってもらったんだ。音も、踊りも、祈りだからね。ミュージシャンがいる場合は一緒に演奏してもらうよ。そういうのが大事なんだよ。

小出:素敵ですねえ。

星野:そうやって、勤行が終わって、「今日は解散!」っていうことになったんだけど、もうね、みんな、冷たい雨の中を何時間も歩いたのに、山歩きをしたとき以上に元気がみなぎっていてね。表情が輝いていてさ。みんな、ぜんぜん帰ろうとしないんだよ(笑)。

小出:ほんとうにたのしかったんですねえ。

星野:そうなんだね。

感じたことをやっていけば、すべてが自然にととのっていく

星野:これはね、無理に計画を立てなかったのがよかったんだろうな、と思ったよ。きっちり計画立てて、何時にどこどこに行って、何時にどこどこに行って、みたいな風にしていても疲れちゃうばかりだからね。

小出:スケジュールをこなすだけだと、なにもたのしくないですものね。

星野:そう。これに限らずさ、ほんとうは世の中、なんでも、計画通りにやろうとしたってできっこないんだよ。思い通りになるわけがないんだから。なのに、社会ではきっちりと計画を立てることがいいことだと思われている。

小出:きちんと計画を立てて、その通りに実行できる人だけが、「仕事のできる人」だと思われているようなところがありますものね。

星野:それが男社会の良くないところだね。ほんとうはさ、世の中、もっとあいまいでいいんだよ。あいまいさを受けいれて、ゆるやかにやっていくのがいちばんたのしいんだから。

小出:すべてに明確な理由を求めると、つまらなくなってしまいますものね……。「なぜ?」という疑問も、それに対しての「○○だから」という回答もなく、そこにある流れを信頼して、それこそ「うけたもう」の精神でやっていくと、なんだか知らないけれどうまいこと進んだね、みたいなことになるのかもしれない。

星野:ほんとうにそうなんだよ。そこに理屈はいらない。「感じた」ことをやっていけば、ぜんぶととのっていって、感動も大きいものになる。

小出:わかる気がします。私も、今回のこの対話は「Temple」というプロジェクトの一環として行っているんですけれど、最初は、これも、頭で計画していろいろやろうとしていたんです。「今月はあの人に会って、いついつまでに記事を書いて、来月はあのお寺でイベントをして……」「なぜならそこにはこれこれこういう理由があるからで……」って。でも、それだとやっぱり早々に行き詰るし、なによりも自分がたのしくなくて(笑)。それならもう、自分の心が動く方向に思いっきり転がってしまえ、と。そう決意したらどんどんたのしくなってきたし、気がついたときには活動の幅もうんと広がっていたんですよね。

星野:そういうものなんだよ。魂はちゃんと先を見ているんだから。それを信頼していくだけなんだ。

小出:信頼感をベースに動いていくのは、とても気持ちのいいことだなあ、と感じています。無理して頑張っていたときよりも、ずっとずっとたのしいし、すべてがスムーズに進んでいる感じがありますね。

星野:それはいいことだね。

「頑張る」が落ちたときに、「受ける」「混ざる」が開けてくる

星野:人間、頑張っているうちはまだまだなんだよ。本物じゃない。だってそうでしょう。頑張っている人のそばにいると疲れるじゃない。

小出:確かに……。

星野:自分が頑張って、ほかの人を疲れさせていちゃ意味がないよ。

小出:そこには、やっぱり、なにか抵抗のエネルギーがあるのでしょうね……。それを感じるからこそ、周りの人も疲れてしまう。

星野:そう。

小出:ご著書にもお書きになられていましたね。

俺も、前は、滝行というのは頑張ることだと思っていたんだよ。
滝に負けないよう、いきがってワーッとやっていた。
五、六年前からかな、「これはちがうな。これは頑張るんじゃなくて、受けるんだな」と。
滝を受ける。
頑張って、肩肘はるんじゃなくて、落としていく。
そうしたら、気持ちがスーッと平らになっていくんだよ。
「あっ、俺、滝と混ざっている」という感覚。
もう、頑張るは必要ないんだ。
「頑張る、受ける、混ざる」
この過程じゃないかな。滝行のみならず、すべてが。

小出:「頑張る」が落ちて、「受ける」「混ざる」が開けてくると、ぜんぜん、世界の見え方が違ってきそうですよね。

星野:「頑張る」っていうのは「いきがる」っていうことだろう? いきがって周りとケンカしていたってしょうがないからね。

小出:本人も周りもつらいだけですものね。

星野:そう。でも、余計な力みがストンと落ちたときに、ふっと同じものになっちゃうんだ。つまり混ざっているっていうことだよ。

小出:そうして流れそのものとして存在していれば、なんの力みもなく、気がついたときにはすべてがととのっていた、みたいなことになるんですね。