Column
Dialogue
2017/06/29

星野文紘さんとの対話/いのちは「感じる」こととともにある

祝詞もお経もソウルでとなえる

小出:ところで、さきほど「歌も踊りも祈り」とおっしゃっていましたけれど、そこに関して、もう少しくわしくお聞かせいただけますか?

星野:祈りっていうのはさ、言葉以前の「音」なんだよな。人が発する声も音だし、それから木を叩いたり、石を叩いたり、地面を足で打ったりすると音が出るじゃない。そうすると、人間の身体は黙っていないよ。自然に動きはじめて表現が出てくるんだ。これが祈りの原点だな。それでいいんだよ。難しい理屈はいらない。

小出:素敵です。

星野:これはなにも昔の人だけの特権じゃないよ。現代人だって、音楽を聴くと自然に身体が動くでしょう。ジャズやロックのコンサートに行って、直立不動で聞いている人なんかいないじゃない。

小出:確かに(笑)。みんな、自然に身体を揺らしたり、ときには激しく動いたりしていますよね。

星野:あれは現代の祈りだと思うね。だから俺はジャズやロックともセッションをしているんだよ。祝詞や般若心経をジャズやロックに合わせてとなえているの。

小出:かっこいい……!

星野:どちらもソウルだからさ、ちゃんと共鳴するんだな。

小出:お経とか、お念仏とか、お題目とかも、きっと、意味以前に、音の響きがとても重要なんでしょうね。

星野:そうそう。意味どうこうじゃないの。ああいうのは頭で考えるものじゃなくて、魂でとなえるものなんだ。

小出:となえているうちに身体が勝手に動き出したら、そのままにしておいて……。

星野:祈りっていうのはそういうものなんだよ。

小出:先達のおっしゃる「祈り」に、決まった形式がないのが、なんだか、すごくいいなあ、と思います。おおらかで、それでいて力強くて……。自分が感じたものがそのまま正解。それでいいんだなあ、って。

「あいまい性」「ゆるやか性」こそが人を救う

星野:日本の修験道っていうのは、そもそも、非常にあいまいなものなんだよ。仏教も、神道も、道教も、陰陽道も、原始的なアニミズムも、ぜんぶまぜこぜになっているじゃない。この「あいまい性」「ゆるやか性」こそが、俺は、いいと思うんだよな。

小出:「これだけが正解」というのがない文化なんですね。

星野:そう。日本の文化っていうのは、良い悪いはっきりさせないじゃない。なんでもあり、みたいなところがあるんだな。自分がそこに神さまを感じたら、そこに神さまはいるんだ。理屈じゃないんだ。ところが欧米文化ではそうはいかない。

小出:一神教文化ですものね。

星野:だから宗教戦争が絶えないんだよ。一神教ではさ、善と悪、光と陰、神と人みたいに、白黒はっきりさせたがるでしょう。でも、対立構造の中で物事を捉えている限り、争いはなくならないよ。

小出:日本人、日本文化のあいまい性って、どうもネガティブな文脈の中で語られがちだけど、そういう意味では、ある種、平和への道をそのまま示しているとも言えそうですね。「これだけが答えだ!」というのがなくて、「それぞれに感じたことがそのまま答えなんだ」という理解が、ひとりひとりの中に育てば、あるいは世界は平和になるかもしれない……。

星野:そう。そもそも決まった正解なんかどこにもないんだから。感じ方なんかみんな違って当たり前なんだから。答えなんか人の数だけあるんだよ。それが人を救うんだよ。

小出:力強いお言葉です。

星野:考えたことの中に答えはないよ。答えは感じたことの中にあるんだよ。だってさ、誰かが「私はこう考えます」と言うと、「その考え方はおかしい」という意見が出てくるだろう? ところが「私はこう感じます」と言った場合、ほかの人はなにも言えなくなってしまうんだよ。「あなたの感じ方はおかしい」なんて、絶対に誰にも言えないんだから。

小出:ほんとうにそうですね。

星野:私が感じたことは誰にも否定できない。そこに関しては、みんな無意識のところで信頼しているんだよ。個人個人が感じたことがそのまま正解なんだ。

小出:ひとりひとりが、自分の「感じる」をほんとうに大切にできたら、他の人が感じたこともそのまま尊重できますよね。そうなってくると、いろんな争いもおのずから消えてなくなっていくような……。

星野:そうだね。正しさを主張して争う必要がなくなってくるからね。

「感じる」と「気づく」を研ぎ澄ませて魂を強くする

小出:でも、いまは、そもそも、「感じるってなんですか?」「自分がなにを感じているのかわからないんですけど……」みたいな人もたくさんいると思うんですよね。

星野:そうなんだよなあ……。でもさ、人間、みんな恋はするだろう? 恋とまではいかなくても、誰かが気になることはあるじゃない。そんなときって、みんな、頭なんか使ってる? 頭で考えて、この人のこと好きだなあ、ってなる? 頭で考えて「あんたのことが好きだよ」って言ったら、「バカにしないで!」って怒られておしまいだよ(笑)。

小出:そうかも(笑)。

星野:みんな、なにかを感じているから、誰かを好きになるんだ。それと同じだよ。ほんとうは、みんな、いつだってなにかを感じているんだね。でもそれに気づけないことがあるんだろうな。

小出:感じていることに気づけない……。

星野:だから、感じる力と同時に、それに気づく力も培っていかないといけないよね。とくに現代人は。そのために修行があるわけだけど。修行は総合的に魂を強くする場なんだ。

小出:「感じる」と「気づく」を研ぎ澄ませることが、そのまま魂を強くすることになるんですね。

星野:そう。そしてそれは自然の中で起こることなんだ。だからね、俺は山に人を連れて入るときは、魂がおのずから感じるような場所に身を置かせるようにするんだよ。たとえば、俺は、夜にも山を歩かせるんだけど、そうするとお月さんが出てくるだろう? そういうときは空が見えるようなところに行って、祈りをして、そのあとみんなで寝転がって空を眺めるんだ。

小出:へええ……!

星野:月の出ている日は月を眺めて、月のない新月の日は満天の星空を眺めて……。そうしているとね、ああ、あの月、あの星と自分は同じものだ、って、理屈じゃなく感じるんだな。

小出:すごい!

星野:それが修験道の宇宙観なんだよ。胎蔵界曼荼羅とか金剛界曼荼羅とかいろいろあるけれど、あんな難しい解説を紐解かなくたって、夜の山に寝転がってみれば一発でわかるよ。知識は必要ない。感じることだけでいいんだ。その場で自分が感じたことがそのまま正解なんだ。

小出:いいなあ……。

やりたいことはやっちゃえよ

星野:それともうひとつ大事なのは、修行中に感じたことを、いかに日常の生活の中に生かしていくかっていうことだね。修行しているときだけ山伏でいても仕方ないんだから。

小出:生きる知恵にしていかないと、ということですね。

星野:そういうこと。俺もさ、山伏の知恵を生かしてもらうために、出来る限りのことはやろうと思っているよ。都会に呼ばれたら話をしに出かけていくし、全国のいろんな山で修行体験をさせたりもするし、しまいには本まで出したりしてね(笑)。誰に咎められるわけでもないんだから、なんでもやっちゃえ、と。俺自身、そう思って生きているよ。みんなにも言いたいね。やりたいことはやっちゃえよ、と。

小出:励まされます。

星野:なんでもやっちゃえばいいんだよ。ほんとうに。頭の声なんか無視してやっちゃえばいいんだ。

小出:頭は、いかにも正しいことを言って、自分にブレーキをかけさせようとしますけれど、聞かなくていいんですね(笑)。

星野:理詰めで考えていても答えなんか出ないよ。自分を苦しめるだけだ。ただただ感じるままに生きていく。それでいいんだ。

小出:先達とお会いできて、こうしてお話を聞けてよかったです。なんというか、ぜんぶ、おなかに直接、ドスン、ドスンと響いてくる感じで……。理屈じゃなく、伝わるものがありました。元気のモトのようなものをいただいてしまった感じがします(笑)。

星野:俺はいつも感じるままにしゃべっているからね。あんたも感じるままに受けとめてくれたんだな。

小出:ほんとうにありがたいご縁でした。星野先達、今日はありがとうございました。感じるままに生きてみます!

星野:俺も、自分ひとりでは気づけなかったことを言葉にできたところがあったんじゃないかな、と思うね。ありがとうございました。またお会いしましょう。

星野文紘(ほしの・ふみひろ)

羽黒山伏。山伏名:尚文。
1600年代からつづく山形県出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の宿坊「大聖坊」の三男として、1946年に生まれる。
2007年、出羽三山の最高の修行である「冬の峰百日行」の松聖をつとめ、
2008年より「松例祭」の羽黒権現役である所司前をつとめる。
出羽三山神社責任役員理事。出羽三山祝部総代。
出羽三山や全国の修験の山でも山伏修行を実施。
全国各地で山伏の知恵を活かすべく生き方のトーク活動を「羽黒山伏の辻説法」として展開している。
著書に『感じるままに生きなさい―山伏の流儀』(さくら舎)がある。

※「まいてら新聞」【星野文紘さん(山伏)の“いのち観”】 – 「生」も「死」も日常の中にある – も、どうかあわせておたのしみください。