Column
Dialogue
2017/07/31

藤田一照さんとの対話/かたちなきいのちに「触れられた」瞬間

仏教はどこまでも「個人プロジェクト」

藤田:でも、ほんとうは「触れられていない」人なんかいないんだよね。みんな、間違いなくいのちを生きているわけだから。「生きている」っていうことは「触れられている」っていうことなんですよ。

小出:でも、どういうわけか、人間、その事実を忘れてしまうんですね。

藤田:そう。白隠さんも『坐禅和讃』の中で「長者の家の子となりて貧里に迷ふに異ならず」というたとえを用いているけれど、みんな、もともと大金持ちの家の子として生まれてきているのに、「足りない、足りない」って貧乏根性で生きてしまっているんですね。最初からいのちを与えられているのに、「ない、ない」って外側を探し回っている、っていう。家の中で家を探し回っているような感じですよね。これはしんどいですよ。

小出:根っこの部分に、とんでもない思い違いがあるんですよね。その思い込みが、しんどさの根本原因になっていたんだ、と。そのカラクリを見抜いたところにあるいのちの本質をただ生きていく道、それが「仏道」なんじゃないかな、と私は思っています。一照さんは、いつも、その根本の思い違いの部分からお話をしてくださるので、とてもありがたいです。

藤田:いやいや……。でも、僕自身は、仏教を広めようとか、人を助けようとか、そういう思いを持って活動をしているわけではないんですよ。僕は、これ、最初から個人プロジェクトだと思ってやっているから。

小出:「触れられた」ショックを引き受けていく道としての個人プロジェクトですか?

藤田:そう。ただ、僕が個人的にやっていることを喜んでくれたり、たのしんでくれたりする人がいるのはうれしいことだとは思っていますけれどね。でも、もしそういう人がいなくなっても、僕はずっとひとりでやっていくつもりですし。

小出:強い覚悟ですね……。

この僕は、この僕だけで、あの僕でも、この僕でもない

藤田:そもそも僕はほかの人の人生に責任持てませんからね。

小出:それは、確かにそうですよね。

藤田:誰かが僕に「私の代わりに死んでください」って言ってきても死ねないし。別に犠牲になることは構わないけど、僕が先に死んだところで、その人もどうせ後で死ななきゃいけないわけだから、どうにもならないじゃないですか。澤木興道老師が「屁一発貸し借りできない」って言っていたけど、ほんとうにそうなんですよね。誰も僕の代わりになれないし、僕も誰の代わりにもなれない。

小出:ほんとうにそうなんですよね。私も、生理痛で寝込んでいるときとか、よく思いますよ。「ああ、この痛みは誰にも代わってもらえない、私がぜんぶ引き受けなきゃいけないんだ……」って。

藤田:そういう感じ。いま、この痛みを感じているのはこの僕だけで、この人でも、あの人でもない、っていう。替えのきかない、唯一無二の存在としての僕。この僕は、この僕だけで、あの僕でも、この僕でもないんだって。そういう実存的な目覚めみたいなのが、僕の場合、高校のときにありましたね。

小出:それは、ある瞬間、ふっと「ああ、そうなんだなあ……」って?

藤田:そうだね。さっき言った、10歳のときの星空体験の思春期版みたいなものかな。宇宙の中に、たったひとり、僕だけがいる……みたいな感覚が、いきなりやってきた。

小出:その感覚から、すべてがはじまっているんですね。

藤田:そう。その感覚を抜きにしたところでなにかを語っても、なにか甘っちょろいものになるっていう感じはある。仏教にしろ、なんにしろね。

小出:確かに。「自分ごと」から出発しないと、どこか的外れになってしまいますよね。

藤田:僕にとっては「このいのち」しかないわけだからね。いつだって「このいのち」からスタートするしかないんですよ。自分抜きのいのちっていうのはないからね。小出さんのいのちを僕は生きられないし、小出さんは僕のいのちを生きられない。

小出:その通りです。

ミクロがマクロで、マクロがミクロで……

藤田:でも、ここにある「僕のいのち」をどんどんどんどん掘り下げていくと、いまここにおいて、小出さんも、間違いなく僕のいのちの中身であることがわかってくるんですよね。

小出:具体的ないまここの一点を見つめていくと、それがそのまま宇宙のすべてになっていく。なんかそういう短編映画ありましたよね。60年代の……なんだっけ……?

藤田:『Powers of Ten』?

小出:それそれ! 最初にピクニック中の男女二人を真俯瞰で撮影して、それがどんどんどんどん上空の方に引いていって、国を飛び出して、地球を飛び出して、太陽系を飛び出して、最終的に宇宙の果てにまでいって……。で、そこからまた最少の人物の方にカメラが寄っていって、細胞の中身から、最終的には分子レベルの映像が大写しになって……っていう。あの映画、大好きです。ミクロがマクロで、マクロがミクロで……っていう世界観を、ものすごくわかりやすく伝えてくれますよね。

藤田:あれはよくできた映画だよね。ああいうのを、僕は学校の授業の教材として使うべきだと思いますね。別に宗教の話を持ち出すまでもなく、世界のあり方の神秘みたいなものは伝えられるわけだから。

小出:そうですよね。