Column
Dialogue
2017/09/09

光岡英稔さんとの対話/武術を通じて「いのち」を知る

「わけわからない」が近代文明のベース

光岡:でも、現代って、どうしても身体のエネルギーを消費しづらい生活になってしまっていて。たとえば、小出さん、今日、ここまでどうやってお越しになりましたか?

小出:電車に乗ってきました。

光岡:昔だったら、ここまで歩いてこなきゃいけなかったわけでしょう。まあ、そんなことを言ったら、私も岡山からここまで歩いてこなきゃいけないことになるわけですけれど(笑)。それで、みんな、その余ったエネルギーを、たとえばジムに行って、ランニングマシーンで発散させたりしているわけです。しかもジムには車で行って、帰りも疲れたからと言って、階段を使わないでエレベーターやエスカレーターに乗って。おかしなことをしているんですよね、現代人って。

小出:いやあ、ほんと、なにやっているんだろう。無駄、無駄、無駄のオンパレードだ……。

光岡:そう、無駄なことばっかりしているんですよ、いまの人たちって(笑)。でも、その無駄こそが、現在の経済を成り立たせているという側面もあるんですよね。たとえば電気を作るときも、太陽エネルギーをそのまま使えばいちばん効率がいいんだけど、それをわざわざ一度電気に変えて、熱エネルギーに転換しているわけですよね。これってすごく無駄なんだけど、無駄の分だけ経済は活発に回っていくわけだから。

小出:うーん……。

光岡:かなりおかしなシステムではあるんだけど、事実、そういう風に成り立ってしまっているんですよね。近代文明を築いていく中で、そういう風になってしまった。

小出:そういう風に「作った」わけではなくて、「なってしまった」んですね……。

光岡:近代文明の発展のベースにはテクノロジーの発展があるわけですけれど、そもそも科学技術自体が「できちゃった」ものなんですよね。偶然の発見の連続の上に成り立っているわけでしょ、科学技術って。

小出:なんかよくわからないけれど、この物質とこの物質を混ぜたらこんな風になって、なんかよくわからないけれど、この物質とこの物質を混ぜたらあんな風になって、って。

光岡:そうそう。その「よくわからないけれど」というところを、よくよく研究しないままに、技術だけがどんどん発達してしまった。

小出:ベースに「わからない」ものを残したままに文明を作っていったら、できあがったものは、そりゃあ「わけわからないもの」になって当然ですよね……。

光岡:だからこそ、人間には「自覚する力」というのが必要になってくると思うんですよ。「わけわからない」ことに無自覚だから、「わけわからなさ」を、わけわからないまま促進させようとするシステムが更に生まれてしまうわけですから。

小出:確かに……。

存在が完全に消えたときに勝機が生まれる

小出:でも、ある意味、どうして私という人間が、いまここにこうして存在しているのか、それ自体が絶対的に「わからない」ことであるわけですよね。そもそもほんとうに存在しているのかどうかも「わからない」わけですし……。

光岡:そうですね。

小出:人間、ほんとうになにかを「わかる」ことなんかあるのでしょうか?

光岡:まあ、たとえば「おいしい」とかね(笑)。

小出:ああ、それはわかります(笑)。

光岡:「冷たい」とか、「あたたかい」とかもわかるでしょう?

小出:はい。「痛い」とか「気持ちいい」とかもわかりますね。

光岡:そうなると、やっぱり、感覚という他者を通して知っていくことが、私たちがなにかを「わかる」ことと密接に関わってくるということになってくるんですよね。

小出:なるほど。私という実体的な主体があって、それが行動を通してなにかを知っていく、というわけじゃなくて、やはり、あくまでも、他者を通して、「わたくし」というものを知っていく、という道筋なんですね。

光岡:「わたくしのなさ」を知っていくというかね……。

小出:「わたくしのなさ」はひとつのキーワードですね。

光岡:その話で言えば、これは私個人の経験なんですけれど、武術でうまくいくときって、大きく分けてふたつのパターンがあって。ひとつは存在を上回る存在になったとき。もうひとつは存在が完全に消えたとき。それで、最終的には、存在が完全になくなったときの方が「勝つ」んですよ。

小出:へええ……! ああ、でも、なんとなく、ではありますけれど、おっしゃっていることの意味がわかる気がします。さっきも申しあげた通り、私にはほとんど武術の経験がないんですけれど、それでも、人生において、なにか一瞬で返答をしなければいけないとか、反応を返さないといけないとかいうとき、頭で考える自分がいると、どうしても遅れを取ってしまうんですよね。逆に言えば、頭で考える自分が完全に消えて、その場の流れそのものになっていると、気がついたときには、すべてがうまく進んでいた、みたいなことになっていて……。

光岡:うん、そういう感じ。武術においても、向こうからやってくることに対して、基本的には受け身でいるんですよ。受け身でいて、状況が近づいたときに、都度対処していく。それで、その対処している自分っていうのは、自分の内面にいるんですね。

小出:その内面にいる自分に、すべておまかせしてしまう、という感じですかね。

光岡:もちろん経験値から判断することもあるし、すべてゆだねるわけではないのですが、自力ではどうしようもないところへ自力で行き、後は基本的には受け身でいて、内面の無さから動きが生じるのを待ちます。それを待つことなく自分でやろうとすると、タイムラグが生まれて、失敗を招くんですよね。

小出:興味深いです。