おはようございます。小出遥子(こいではるこ)です。
この世界には、究極的には「自分」しかいないので、
「○○を愛する」とか、「○○に愛される」とかいったときの
「○○」の部分には、やっぱり、いつだって「自分」が入るんです。
「自分」以外、入らないんです。
いきなり究極の話で面食らってしまったかもしれませんが、
これ、ほんとうのことで。
私たち、普段、あまりにもふつうに
「誰かを愛する」とか、「誰かに愛される」とかいう言葉を使いますけれど、
でも、それが起こっている場所はどこなんだ? というお話で。
「誰かを愛」したり、「誰かに愛され」たりする、
その「愛」を感じる場所はどこなんだ?
「愛」はどこで起こっているんだ? と。
どこ?
どこですか?
「@(アット)自分」ですよね。
「自分」以外に、愛が起こる場所はないですよね。
これ、どういうわけか見落とされがちなんですけれど、
実はものすご~~~~~く大事なところで。
これって、つまり、
愛は、自分以外の誰かやなにかに「与えられる」ものではない!
ということなんですよ。
愛は、自分の外側の誰かやなにかから「与えられる」ものではなくて、
自分とともにいつだって「ある」のだ、と。
自分は、ただ、その事実に「気づく」だけで良いのだ、と。
それが分かると、「愛」の意味が一変してしまいますよ。
もちろん、自分以外の誰かとの関係性の中で、
大きな愛に包まれたような感覚になることもありますよ。
でも、それって、
相手が愛をくれたから満たされた、
というわけではないんですよね。
相手はね、別に、愛なんかくれていないですよ(笑)。
相手は、単に、
「愛はいつだってあなたとともにあるんですよ」と。
その可能性を指し示してくれただけ、なんですね。
つまり、そこに、愛の「受け渡し」は起こっていない、ということです。
愛は、ほんとうはいつだって「ここ」にあるんです。
自分以外の誰かやなにかは、
その事実に気づきやすくしてくれるため「だけ」に存在している!
……と言ってしまってもいいぐらい。
だからね、もう、これ以上、愛を求めてさまよわなくていいんですよ。
「愛はどこからやってくるのでしょう?」と問いかけたり、
「愛をください」とウォウウォウ吠えたりしなくていいんです(笑)。
愛に満たされたいのなら、自分はすでに愛とともにあるのだ、と。
その可能性に目を向けることから、ですね。
というか、それ以外に方法はないです。
ほんとうに、それ以外には、ないんです。
これに似たような話を、
この間の「遥子の部屋・セックススペシャル☆」でもお話ししました。
ご興味ある方は、こちらのリンクからどうぞ。
(※最初の3分、音声入っていないです!)
ここまでさらさらーっと書きましたけれど、
今日言ったことって、ほんとうに大事なんですよ。
これをほんとうに理解できたら、たぶん、ふつうの「恋愛」はできなくなります(笑)。
これまで持っていた「恋愛」の概念が崩壊する、というかね。
まあ、そんなもん、さっさと壊れちまえ! という話なんですけれど。
あはは! 朝から過激ですねえ(笑)。
でも、これまでの「恋愛」「性愛」が、
人を苦しめるやり方で営まれていたのだとしたら、
やっぱり、そろそろ目を覚ましてもいいんじゃないかな、と思うので。
なにかの参考になればうれしいです!
よい一日をお過ごしください◎
次回「遥子の部屋」は10月6日(金)20時からです。
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